懐中電灯

いい年をして歩くに任せ、レンズに任せ、二十代の移動の感覚を懐かしく思い出す事もあった。
数千から万に上った画像から400枚ほどを選び、これではまだ多いと感じていた。再び速度を増した歩行をはじめる岐路にたったけれども、ここでまた年齢を持ち出し、そうした眺めの正当性をありふれた恣意として許して宛ら足跡に懐中電灯をあてるような現場検証の気持ちで、少しは自らの行為の責任を、明快な形で与えたい。あるいは残したいと考え、それで生まれる文脈の変容もあると睨んだ、言語に依る苦闘を、楽しめばよいと気楽に構えた。
平行して辿る読み物からの影響もあり、文学に憧れる乙女のような印象を母親に感じ取ることもあって、まさか土俵違いのこちらとしては、むしろツールマニュアルのようなにできないかと悩んだ。言葉を退けるように、手にしてから置くようにした。幾度かウイーンのウィトゲンシュタインの設計したストーンボロー邸を眺めていた。
無関係の併置の効果は、まだよくわからないけれども、なにかが尽きるまではできるだろう。
左手の指の形などに、過去の時間を掘り出す集中は、時に甘くエモーショナルなものをざわつかせ、何も変わっていないとわかるたびに、その変わっていないものは何かを更に突き詰めたくなったようだ。
若い医者の卵だったイラクのムサクや、ポーランドから家族を置いて単身短期決戦に臨み、既に40手前の大人が、本当に寝ずに言語の習得学習をしていたことを物語る彼らのノートが、彼らの、時間があれば唇から繰り返されるつたない発音と共に浮かび、この国ではなかなかお目にかかれない、あの切実で執拗な構築への意志を前にして、俺なんかかなわないとトーンダウンした自身のあの時が目の前にそっくり現れた。萎えて終わったわけではなかったと今更に知り、手のひらに溜まった雨水を揺らしてみようかと、痩せた四肢が恥ずかしかった幼い頃の、ギラついたものが、窪んだ細胞の衰えたような組織のその奥に灯るのが嬉しいようだ。