光景の基本

こちらの錯誤なのに母親に向かってどこにやったと語気を強め近所の人が見た時に開いたままどこかにやっちゃったのかと慌てるような気持ちもあって戸棚に並んだ本の中を焦って確かめていたのは、ようやく現れていつまたいなくなってしまうかわからない父親に家族がそうだ先日の遺作展の作品集をみてもらおうと気づいたからだったが、家族が慌てて探す中、作品集なんてつくっていないとひとりだけ気づき説明するのも面倒だったので数枚の写真しかない手元のものを父親に渡すと、目を細めて画像を見つめる父親は、自分の作品展とはなかなか思えないような「例の照れたような」表情をした。

書の制作部屋はまだ片付けていなかったので、父親は床に並んだものを丁寧に折り畳むのだった。現れれば現れたで家族みながあれこれを頭を下げて謝っていた。

帯のように熟さない点のごとき儚さの夢を、蚊を潰すような性急さであっと声に漏らして目覚め消したので、前後がその淡さなりの萎み方で潰れ消えた。結局こちらの慌てが父親を再びどこかへ追いやってしまったと暫く力が抜ける。

夢の走りは娘たちの日々の顛末に付き添って歩き、いつしか記憶の底にあった古くさいデパートメントの喫茶に辿り着き妻と入れ替わったまだ若い母親が私はいつでも此処に来てカフェオレを飲むのよと指差した時親族も立ち現れはじめ、そのまま場所が自宅にスライドすると父親が立っていた。

喪失した人間の存在の気配などつくりだすものだ。記憶を鮮明にさせる検証の手続きを丁寧に行えばそれは可能だから。もっとも惨いのは忘れるということに甘んじることあって、それは無かったことにするに等しい。と繰り返し結局自らの死の先へ投げるような訓示となる手付きがどうしようもなく青い怒気のようなものも流感の腫物みたいに赤くさせていたのが夢の理由か。

光景の基本は鮮明であること。それでしかない。