仕事の調整をしてみると、あれこれ散漫にあり、休日返上し部屋の掃除のような気分で早速取りかかるが、仕事のペースがいまひとつ感覚的に煮え切らない。こちらに戻ってから柄谷の初期論文集を風呂で再読しながら、仕事に入ると、ダレルに対する言及(「アレクサンドリア・カルテットの弁証法」1967年修士論文(英文))の、
ー彼(ダレル)に新しいものがあるとすれば、保存自体が批評であるような「形式」の創造にあるー。
と切り捨てる部分がこちらにチラチラと残り、集中が途切れて再び本を手に取る。
20世紀の実験小説の破壊的試みも、それ以前も、煮込みのように「カルテット」に「意志的に反省されて」熟慮された再組織というほかないように保存されているダレルの仕事には新しい文体、実験、思想などないと、切断する若い柄谷の批評に生まれる、この再組織への熱意の部分が、ひりひりとした感覚で指先に纏わりつく。
VEの計画書もプラン自体がなかなかふっきれたものにならない。朝近くになってから、
Hidalgo, in the cutと観る。in the cutの俳優や、とってつけたようなギミックよりも、Hidalgoの突っ走る馬の姿が残る。


full frontal / Steven Soderbergh (2002).