この国には本格的なSEの絶対的な数が足りないのに、組織は、政府も含めて、前向きになっていないと雑誌にあり、先日の株式のシステムダウンを思い浮かべた。アメリカや韓国では、そういう憂いに対して、すでに大学で学科を設けたり、企業もやっきになっているらしいが、この国のSEという職業は、優遇されていない。
なるほど、特殊な個人を育てる姿勢が組織には無い風土が綿々とあり、突出した個が顕われても、潰して平たくする傾向があるのだからどうしようもない。かといって現在集団で力を発揮しているかというと、どうもそんな気はしない。神楽社会とでも云おうか。オタクを笑う風潮がこれを象徴している。
秋口からメンテナンスに偏った仕事ばかり重なり、修復や再構成を遅々と行っていながら、実は、わたしはこうしたメンテナンスが嫌いではないなと、幾度か繰り返し思っていた。Sonyが、悪しきプロダクトプランによって、消耗を時間計画し、メンテナンスを拒否して、新製品を売りさばくという噂が、実際嘘なのか事実なのか知らないけれども、周りを見渡せば、10年20年と生活の酷使に堪えるモノは少ないのは確かで、修理するなら、その金額で新品を買った方がと促す営業も、当たり前のように行われているし、我々はそれに慣れている。
握りの潰れた金槌を丁寧に磨いて数十年使っている大工はいるだろう。そのような愛着を技術と成熟する人も多いが、時代はふとそうした成熟に対する眼差しに翳りを与える動きをしばしばする。
たかが雷で壊れてしまう、ガラス細工より脆いようなデジタルデータを扱う人間は、むしろ日々更新されるハードウエアに依存していたほうがよろしいという判断が先行する中、データとは、結局、言葉とか映像というモノであるのだから、唯物的な歩み寄りを忘れたら、実に空虚なシステムの外殻に狼狽え続ける不毛な時間に迷うだけと、庭師の芝の間の雑草を毟る目つきで、端末に向かって、メンテナンスの続きへとりかかる。
The Last Castle(2001)は典型的なアメリカ映画だが、そこはかとなく底辺に流れる倫理が、季節のせいかわたしには心地よい。俯瞰のカメラが捉えた囚人たちが美しかった。この国は我々と違って父系国家なのだなと思う。先日観たSaving Private Ryanが重なる。だが、もう少し固有な人間性が観たい。と、Amores Perrosを。
里奈にほらよと渡したJapana-rhythm/Bennie Kを聴きながら朝から仕事。UNITYがよい。だが、2〜3回反復させると五月蝿くなり、Preston Reedに。
Al Pacino主演のCarlito’s Way(1993) / Brian De Palma(1940~)を、早朝観る。オープニングのキャメラワークと映像の美しさには惹き込まれたが、12年も昔なのだという、所謂古さを脚本などに感じる。Al Pacinoらしさが、キャラクターに足りないのはそのせいと諦める。出来事に物語の必然性が感じられない。Sean Penn演じる弁護士には失笑。演技もまだ未熟な感じが時代を感じさせる。ゲイル役のPenelope Ann Millerの美貌に若干救われたが、人間の奥行きが足りない。などとえらそうに。