過去オーディオシステムをコンポと呼んでいた。コンポジット(composite)とは複数のものを合成あるいは組み合わせたものを表す。合成というと、ひとつのかたちに統合された、されてしまった意味合いとなるが、本来無関係な複数のものの併置と考える可能性は、この無関係という意味でまだ残されている。
統合を理念として、断片が、ある統合にむけたパーツの機能をあらかじめ目的とされて生成されているこれまでのコンポジットではなく、併置された複数のものそれぞれに内在する自己完結機能が、他との無関係性においてまず顕著にあるというところから始まる。ロシア構成主義はConstructivismとされ、この場合構成派と翻訳できるように、構成される事柄よりも構成すること自体の意志を示す。この場合compositionは、併置された広がりを示す。
社会疾患の解決策として、さまざまな独自機能を持つ機関の新しいコンポジットにより、その疾患の根本的な治癒が可能と分析され、現在さまざまに実践されつつあるように、このコンポジションとしてのさらなる広大な光景の設計が必要と思われる。
そういう意味での、設計(プランニング)とは、ひとつの社会疾患に対応するだけではなく、臨機応変に諸々な事象への照応も可能とならねば、特異で限定的なコンポジションに成り果てる。例えば、ソーシャルワーカーの組織およびスキル機能が併置され、医療機関が併置され、教育機関が併置され、行政の緑化が併置され、そこにアートを併置する場合、そのコンポジットのファンクションが、ひとりの自殺未遂者の、再び薬を飲む繰り返す行為自体を根源的に抑制あるいは停止させる為に、引き金となった環境下での人間関係の洗い出し、抱えた負債の返済の解決、社会的な生活費援助システムの投入、医師による精神および肉体治療、リハビリをかねた社会復帰などを、同時進行させる円卓として、機能を集積させる場としてのアートとは?
本来社会とは、無関係な事象のコンポジットであったが、個々の独自ファンクションが、個別を解決してきたが、昨今の事情は複雑であり、疾患の原因は菌糸のようにあらゆる隙間に浸透している。肉体が修復されても環境は放置されたままであり、疾患が再発するようになり、その潜在的な不安は広まっている。
疾患の治癒が最終目的ではない。コンポジットが検証されながら、深化し、ファンクションレヴェルの質を上げながら、共有空間を最提示しつつ、「我々の生きるべき世界とは何か?」を絶えず言及することにある。設計されたコンポジションによって、個別の無関係なファンクションに、別のファクターと責任が生じ、都度アップデートを迫られるということになる。そのアップデートによっては、ファンクションの根本的な意義や目的の変容も余儀なくされることもあるだろう。そういう共有空間の設計のプロンプトとしてアートが準備され発動されるべきではないか。この場合、所謂現在ソーシャルアートと示されている「戦うアート」との違いは、ファンクションリクエストによるアートアップデートを前提とされたものであるかどうかにある。
さて。
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